Aboutジュエリーの歴史

ジュエリーの歴史

今では多くの方に愛され、身に付けられているジュエリーですが、その歴史は深く、古代から身に付けられていたと言われています。そんなジュエリーが日本でどうやって栄えていったのか、また世界に目を向けるとどうなのか、その歴史についてご紹介したいと思います。

宝石の街「山梨県甲府市」

山梨県甲府市が「宝石の街」と呼ばれているのをご存知ですか?あまり聞き馴染みがないかもしれませんが、実は日本で最も宝石業が盛んな町は山梨県甲府市だと言われています。では、なぜ甲府市がジュエリー産業の要となっているのでしょうか。

その理由は、昔から水晶がよく取れる土地だったからです。採掘した水晶を研磨する職人がおり、その職人たちが水晶の研磨技術を応用して宝石を加工し始めたことがきっかけとなっています。

しかし、宝石の加工ができても流通できなければ意味がありません。では、その研磨した宝石をどのように卸していったのでしょうか。答えは山梨県の六郷町にあります。六郷町は印鑑で栄えた町でした。元々印鑑で使っていた流通経路を宝石の流通にも使ったとされています。

既にあった水晶の加工技術と印鑑の流通経路。この二つがうまく組み合わさって、山梨県甲府市が宝石の街として今も栄えています。

御徒町はジュエリーショップが多い?

画像のオルトです

宝石を語る上で外せないのが御徒町。神社や仏閣では様々なところに金具を使われていますが、御徒町はそうした神仏の加工技術を持った人たちが多く集まる問屋街でした。土地柄、神社や仏閣が多いこともあり、職人たちが多くいる街だったのです。その加工技術を宝飾品にも活かしたことから、御徒町にジュエリーショップが増えたと言われています。

また、御徒町の通りには宝石の名前がつけられているところもあり、それだけでも宝石の街であることが分かりますね。

加工技術があるところに宝石あり

では、世界に目を向けてみるとどうでしょうか。世界中で採掘・加工されている宝石ですが、タイのチャンタブリやインドなどは有名な加工地です。タンチャブリは元々ルビーやサファイヤが取れる場所ですが、コランダムの加工においてはチャンタブリと言われるほど加工技術に優れています。世界中のどこで採掘されたとしても、コランダムの加工は必ずチャンタブリに来ると言われているほどです。また、インドも人件費の安さや細やかな手作業が得意という強みもあり、集積地として宝石が集まってきます。

また民族の歴史上、いつでも財産を持ち運べるといった観点で宝石を所持したことから、宝石業が栄えた国もあるそうですよ。

宝石は古代から身に付けられていた

さかのぼること紀元前。宝石は古代から身に付けられていました。

それこそ、エジプトのファラオの副葬品にはラピスラズリやトルコ石などが多く使われていたそうです。そのため、最初に宝石として扱ったのはラピスラズリやトルコ石だと言われています。

ファラオと聞くと同時にミイラを想起しますが、そのミイラを作った理由のひとつに来世でまたこの体を使うためであると言われています。亡くなった魂を体に呼び寄せるためにラピスラズリがふんだんに使われました。また、悪いものから身を守るためにも使ったと言われています。つまり、宝石はお守りや願いを込めて使われていたということですね。

今では身近になったジュエリーですが、その歴史を紐解いていくと、とても神秘的なものであり人々の発展と共に寄り添ってきたことが分かります。ジュエリーマルシェではそんな奥深く、魅力ある宝石を楽しんでいただく機会になればと思っています。

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